新設:2019-03-31
更新:2022-11-13
江戸湊発祥跡碑
撮影:2019-03-27
江戸湊発祥跡碑 中央区新川2-31-1 NBF新川ビル東館 南方設置
碑文 正面
慶長年間江戸幕府がこの地に 江戸湊を築港してより 水運の中心地として江戸のの経済を支えていた。昭和11年まで 伊豆七島など諸国への航路の出発点として
にぎわった。
碑文 右側面
離島への汽船発着所として 東京湾汽船は明治22年 この地に設立された。町には6軒の旅館があり 島の人々で賑わった。
旧町名越前堀は 越前松平家の周囲に堀があったことに由来する
地名 将監は幕府奉行職御船手(海兵団)向井将監の屋敷跡に由来する
霊岸島検潮舎は 海抜の原点で この大川端のテラス内にある
越前堀将監21号 住民建立
碑文 左側面
東京京橋ライオンズクラブ
結成35周年記念
平成12年1月吉日 建立
碑文 裏面
江戸港発祥跡
案内板 テラス内「霊岸島水位観測所」付近設置
①向井将監ゆかりの地
1590年 豊臣秀吉が小田原北条氏を征伐したとき 向井忠勝は徳川家康の武将として東海道の水軍をひきい 北条方の水軍鵜殿兵部を破りました。さらに 慶長 元和両度の大坂陣には 同様に水軍をもって淀川河口の防備にあたり 大いに軍功を賞されました。忠勝はこれらの功により 代々将監と称して幕府水軍の総帥的地位につきました。
(株式会社名著出版刊『東京ふるさと文庫⑨江東区の歴史』より)
②江戸湊の碑
江戸時代 江戸に集まる物資は主として舟運によるものでした。関西方面をはじめ各地方から江戸に物資が集中し 日本橋 京橋地区の河岸地に陸揚げされました。幕末に横浜が国際貿易港として開港したのに対して 東京の開港は遅れ ようやく1941年に開港の運びとなりました。