新設:2019-03-31
更新:2022-11-13
霊岸島水位観測所
撮影:2019-03-27
所在地
中央区新川2-31~32先
案内板 (国土交通省関東建設局荒川下流河川事務所案内板)
日本水準原点と霊岸島水位観測所
国土交通省 関東建設局 荒川下流河川事務所
1.水準原点とは
現在日本の水準原点は、測量法施行令第2条により東京都千代田区永田町1丁目1番地内にある日本水準点で、その高さは東京湾平均海面上24.4140mと定められています。
(東京湾平均海面をT.P.0mとして算定しています。)
この水準原点の高さに基づいて、例えば、山の高さや土地の高さが「標高○○m」というように求められているのです。
2.日本近代測量と霊岸島水位観測所について
日本の近代測量は明治初期に始まりました。当時の測量方法は主要河川の河口部の水位を測るための「量水標」を設け 測量を行うときには近くの「量水標」の平均海面データを用いていました。「量水標」の主なものは、明治5年に利根川河口の「銚子量水標」が日本初で、翌明治6年にここ霊岸島に、明治7年に江戸川と淀川の河口にと、全国の主要河川でそれぞれ設置されました。
霊巌島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.は Arakawa Peil の略、Peil はオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。
その後、測量技術などの進歩に伴い、平均海面のデータの全国統一が考えられ、そのとき選ばれたのがここ霊岸島水位観測所だったのです。
3.東京湾平均海面と日本水準原点
平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年6月から明治12年12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。このときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準と定めたのです。
そして その後の明治24年5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本の水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。
この値は、大正12年に起きた関東大震災の影響により昭和3年に24.4140mに改訂され現在に至っています。
4.現在の霊岸島水位観測所
日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の埋め立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施工に伴い平成6年5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。
元の観測所の位置には、その歴史的経緯を長く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。
また、新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その一辺の長さは観測所位置のある139°47′にちなみ13.947mとしています。
観測室については、斜方12面体という形で立方体それぞれの面に勾配45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです。
一等水準点「交無号」
撮影:2019-03-27
所在地
中央区新川2-32先
案内板 (国土地理院関東地方測量部案内板)
一等水準点「交無号」 標高 3.24m
水準点とは、精密に測られた高さの基準点です。全国の主要道路に約2キロメートルおきに設置されており、各種測量の基準や地殻変動の検出に利用されています。
日本の高さの基準である東京湾平均海面(標高0m)は、明治6年から12年の間に霊岸島で行われた潮位観測によって決定されました。
この結果は、潮位観測に用いられた量水標近傍の「内務省地理局水準標石(霊岸島旧点)」に取り付けられましたが、明治24年に新しい基点として、この「霊岸島新点・交無号」が設置されました。同年、国会議事堂前の地に建設された日本水準原点の標高は、この水準点からの測量で決定されています。
水準点番号「交無号」の由来は、水準路線が交差する点であることを示す「交」と、「0」を意味する「無号」を合わせたもんです。
この水準点は、まさに日本の高さの出発点として歴史あるものです。
現在の水準点は、平成18年にこの地に移転されました。標石は昭和5年の移転時に作られたもので、小豆島産の花崗岩が用いられています。
平成21年2月
国土地理院関東地方測量部