新設:2019-05-08
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2019-04-06
参道入口
山門への階段参道
山門
本堂
庫裡
名 称
曹洞宗 龍谷山良長院
所在地
神奈川県横須賀市緑が丘2
創 建
鎌倉時代の建長5年(1253)に没した 瀬尾重兵衛良長(長峰城主)が元横須賀郷泊浦に創建
開 基
瀬尾重兵衛良長(法名:良長院殿笑山賢公大居士)
現在地に再建移転
創建地・元横須賀郷泊浦の寺域が荒れ果てたため 天正期(1573~1591)の徳川家康関東入府の頃 現在地に再建移転し 併せて住職に駿河国富士郡保寿寺2世で
徳川家康の信任が厚く菊長老といわれた之源臨呼(しげんりんこ)和尚を迎えた
移転・院号変更
良長院の住職となった 駿河国富士郡出身の之源臨呼和尚は、故郷の富士山への愛着が強く 家康に願い出て許され、寺を富士山を望める現逗子市沼間に移転のうえ院号を海宝院に改めた。海宝院の開基は長谷川長綱(三浦郡代官)で
長谷川家と向井家とは深い縁があった。
再興開山
霊屋(れいおく)和尚(逗子沼間の海宝院2世)
再興開基
天巌呑高(てんがんどんこう)和尚
良長院の旧地をおしんで 正保年間(1644~48)に再興
本 尊
釈迦三尊坐像(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)
案内書 (曹洞宗龍谷山良長院 案内書)
良長院の沿革
龍谷山良長院は元横須賀郷泊ヶ浦に在り、鎌倉時代に同所長峰の城主瀬尾重兵衛良長公(笑山入道と号す)によって創建された。
開基、瀬尾重兵衛良長の2字を採り、良長院とした。建長5年(1253)に良長公は逝去された。
本院本尊仏は坐像の釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊仏で、他に多くの仏像が安置されている。
現在本堂裏にある開山堂兼位牌堂には、秘仏として薬師如来が安置されている。
山内には、本堂・開山堂兼位牌堂・庫裡・閻魔堂・鐘楼堂・稲荷堂・山門等が建立されている。
案内書 (上杉孝良著「横須賀こども風土記 上巻」P140-141)
良長院は伝えによりますと、開基は瀬尾重兵衛良長(よしなが)という人で、最初は泊浦(とまりうら)(米軍基地内)に建てられましたが、のち荒れはてたため天正期(1573~92)に現在のところに再建したといいます。
徳川家康が関東に入国のころ、駿河国富士郡にあった保寿寺(ほじゅじ)の菊長老(きくちょうろう)といわれた之源臨呼(しげんりんこ)和尚を招いて この寺の住職としましたが、和尚は富士山の見えるところを探して、沼間へ寺を移し、寺の名も改めて海宝院(かいほういん)としました。現在、逗子沼間にある長谷山海宝院がこれです。
このため正保年間(1644~48)に天巖呑高(てんがんどんこう)和尚はこの旧地をおしんで寺を建て、あらためて海宝院の旧寺名である良長院(瀬尾良長の法号、良長院殿笑山賢公大居士(しょうざんけんこうだいこじ)からとる)の院号をつけ、海宝院2世の霊屋(れいおく)和尚を招いて開山とし、自分は2世になったといいます。これが現在の良長院で、呑高和尚は天和3年(1683)5月に亡くなっています。
現在の本堂は明治20年代の建立で、堂内には本尊釈迦三尊像をはじめ、歴代和尚の肖像彫刻や天和2年(1682)と書かれた瀬尾良長像などがまつられています。
補 足
良長院は京急線横須賀中央駅下車徒歩約10分(近くに「どぶ板」通りがある)
参考資料・文献ほか
良長院案内書「曹洞宗 龍谷院 良長院」
上杉孝良著「横須賀こども風土記 上巻」横須賀市民文化財団刊(1989年)
海宝院由緒書「曹洞宗長谷山海宝院由緒」
海宝院と長谷川一族墓 本サイト「按針亭」
薬師如来
撮影:2019-04-06
鐘楼堂
閻魔堂
閻魔堂内部
地蔵
案内書 (曹洞宗良長院案内書)
お薬師さま
われわれに日頃「お薬師さま」と親しまれている薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、医王如来とも呼ばれております。
薬師如来の教えや功徳は「薬師如来本願経」に説かれており、それによれば、薬師如来は東方の浄瑠璃世界の教主で、12の誓願をたてられたといわれております。
この12の誓願の中には、衆生の心の病である煩悩を滅ぼすことも含まれておりまっすが、いつしか除病安楽、息災離苦の誓願が唱えられるようになり、病気を治してくれる対象として拝まれるようになりました。
形像としては、普通、左手に薬壺を持ち、右手に施無畏印を結んでおります。
当院のお薬師さまは、製作年代及び作者等不詳ではありますが、古来、寺院に伝わるところによれば、良長公の念持仏であったとする説と、時の郡奉行長谷川右京亮が徳川家康公の命を奉じて奉持したものとする説があります。
尚、当院における薬師仏は、立像で製作も当時としては珍しい南蛮鉄によるものであります。
案内書 (上杉孝良著「横須賀こども風土記 上巻」P141-142)
本堂の左手にある閻魔堂には、この寺の末寺(付属する寺)であった宗慶(そうけい)寺、西往(さいおう)寺の本尊仏などが安置されたいます。
このうち宗慶寺は山号を野狐山(やこざん)といい、良長院の3世恵教(えきょう)和尚が開いた寺で、泊の狐ヶ崎(米軍基地内)にありましたが、明治13年(1880)に陸軍用地として買収され、廃寺となってしまいました。
本尊の薬師如来立像は室町時代の鉄でできた仏像で、あまり上手な作とはいえませんが、鉄仏としては三浦半島で唯一のもので、貴重な存在です。
伝説によりますと、この像は良長の守本尊で、海中出現の像といわれます。古く北条高時の時代に、この寺に盗賊が入り、本尊仏や宝物などを奪って船で逃げようとしましたが、船がどうしても動きません。盗賊たちがこの像を海に投げ入れると、船はたちまち動き出したといいます。その後土地の漁師の網にかかり引き上げられ、そのためお体に貝がらがついているとしるされています。この像は江戸時代から三浦薬師札所の第3番(※)でした。 <注>※印の「第3番」は「第2番」の誤りと思われる
また、西往寺は延命山といい、本尊は地蔵菩薩坐像でした。やはり恵教和尚が開いたもので、造船所の表門側にありましたが、海軍用地となり、これも廃寺となったものです。
補 足
薬師如来のご開帳は33年に1回、直近では2017年に開帳された
良長院は 三浦薬師如来霊場 第2番
[ご詠歌]は
いつ迄か ここに泊りて 祈らなん 舟に追手の 風のよきまで
<注>宗慶寺(泊 廃寺)のご詠歌を転用
参考資料・文献ほか
良長院案内書「曹洞宗 龍谷院 良長院」
上杉孝良著「横須賀こども風土記 上巻」横須賀市民文化財団刊(1989年)
三浦半島二十一ヶ所薬師霊場 サイト「ニッポンの霊場」
良長院 サイト Yelp