新設:2018-11-09
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2016-01-06
名 称
臨済宗円覚寺派 竹林山貞昌寺
所在地
神奈川県横須賀市馬堀町1-29-20
開 創
伝 建武2年(1335) 名称を「吸江庵」とし、現在の「貞昌寺別院」の敷地から西側斜面をやや下がった斜面中腹に建立
開 山
南山士雲禅師 (鎌倉円覚寺11世)
開 基
石渡源左衛門
再 興
寛文3年(1663) 名称を「吸江庵」から「貞昌寺」に改め堂宇を建立
再興開基
向井将監正方
移 転
安永3年(1774) 向井将監政香と住職・天州和尚が現在地に移転
本 尊
延命地蔵尊菩薩(伝 運慶作) 三浦地蔵尊第28番札所
案内板 (大津行政センター市民協働事業・大津探検くらぶ案内板)
貞昌寺 (臨済宗)
建武2年(1335) 鎌倉円覚寺11世南山士雲禅師が開山したといわれ、本尊は運慶作と伝わる地蔵菩薩立像です。三浦地蔵尊第28番札所で12年毎の卯年に、ご開帳になります。
大津村など5ヶ村を知行し幕府の船手奉行であった向井将監正方は、寛文3年(1663) 母・貞昌院の菩提を弔うため、母の法号にちなみ谷戸奥の吸江庵を貞昌寺と改め、堂宇を再建しました。後に向井家8代・政香の時に現在地に移されました。
江戸時代の正方夫妻の墓碑は史蹟として現在の湘南大津の丘にあります。門前の庚申塔は大津地区では最多の52基あり、造塔の由来を記した貴重な三尸塔もあります。
大津行政センター市民協働事業・大津探検くらぶ
補 足
安永3年(1774)、正方の子孫政香と住職天州和尚が相計って、竹沢の里の奥から現在地に寺を移したと伝えられている。
貞昌寺は、京急大津駅を下車後、京急線と海側で平行する道を馬堀海岸駅方向に進むと、右側に3番目の写真のとおり、電柱に掲げられた「貞昌寺への道案内」があるので、右折し、踏切を渡り、右折、左折で右側にある
参考Webサイトほか
向井将監正方夫妻墓碑 本サイト
貞昌寺別院 本サイト
貞昌寺 横須賀市サイト
「横須賀市文化財調査報告書 第41集」 2005年3月 横須賀市教育委員会刊
鈴木かほる著「史料が語る 向井水軍とその周辺」 新潮社刊
向井正方夫妻墓・正方母墓
撮影:2018-07-13
向井将監正方夫妻墓塔身の刻字
正面
大通院殿義山浄節居士
霊徳院殿心鑑自照大姉
右側面
延宝二年寅七月十日
向井将監正方
左側面
寛文十年戌九月十四日
向井将監正方室
裏面
将監山の墓碑移動に際し夫妻の霊体
を此処に埋葬す
維時 平成十四年九月十日
当山 二十六世 節堂
補足
裏面刻字は貞昌寺ご住職からご教示
頂きました。厚く御礼申し上げます
向井将監正方母の法名
貞昌院殿高雲素閑大姉
庚申塔群
撮影:2016-01-06
案内板 (大津地域文化振興懇話会案内板)
貞昌寺の庚申塔群
庚申塔信仰とは、60日ごとに巡ってくる庚申の日に行う信仰で、起源は中国の道教といわれる。人の体内には3匹の虫(三尸(さんし))がいて、庚申の夜、睡眠中に抜け出し、天帝に罪過を告げるとされ、人々は「講」をつくり、その夜は眠らずに身を慎んで過ごした。
昭和50年、寺の改築と共にここに集められた52基の大半は、青面(しょうめん)金剛や庚申供養塔で、塔に刻まれた書体・彫刻など、たがねの技術に目を見張るものが見受けられる。
笠付塔は、 比較的古いものが多い。最上段には、造塔の趣旨を漢文で記した文字塔があり、これは市内でもここだけである。
平成3年2月
大津地域文化振興懇話会